最高速度330km/h、650馬力のスカイラインGTRに乗り、湾岸最高速ランナーであった執筆者斉藤良男が現役時代を回想する。
令和元年8月
当ブログの執筆者元湾岸最高速ランナー斉藤良男の紹介
当ブログの執筆者斉藤良男は湾岸最高速ランナーとなる以前、もともとは学生時代からバイトで貯めたお金で買った格安のS13シルビアに乗っていた。
大学を卒業して就職すると、すぐにJZA80スープラRZ-Sを購入。
ここから本格的な走り屋となり、給料の大部分を車につぎ込むことになった。
自宅から車で1時間半ほどのところにストリートゼロヨンスポットがあると知り、行ってみることにした。
湾岸ミッドナイトの悪魔のZは存在した!?
そのゼロヨンスポットで目にしたのは、衝撃の光景だった。
S30Z‥。
湾岸ミッドナイトでは朝倉アキオが駆る悪魔のZとして登場するが、所詮マンガの世界であり、現代にはほとんど存在することのない幻の名車であるとの認識であった。
ところが、そのゼロヨンスポットには数台のS30Zが、ラインロックを装着し、激しいバーンナウトを繰り返した後にゼロヨンを行っていたのだ。
エンジンが乗せ換えられていることは確実だ。
湾岸ミッドナイトにおける舞台は首都高速であり、こちらはゼロヨンであるから走る場面は異なる。
しかし、そこで見たS30Zは、まさに「ゼロヨン版 悪魔のZ」と言っても過言ではないだろう。
ゼロヨンにはまる!
それからというもの、毎週末の深夜になると必ずそのゼロヨンスポットに通った。
工業団地の中にある片側2車線の道路を使い、2台ずつスタートするという方式で、S30Zだけでなく、GTRやスープラなど常時10台以上のマシンが繰り返しゼロヨンを行っていた。
俺は見かけたことがなかったがトップシークレットの永田氏もしばしば出没しており、俺が常連だったショップのチューナーとバトルしていたと聞く。
ここで走る車はタービン交換を行っているターボ車ばかりで、マシンのレベルはかなり高い。
俺のスープラはブーストアップ仕様で400馬力はあったが、タービン交換車両にはかなわなかった。
ゼロヨンは、ほぼマシンのパワーのみで勝負か決まってしまい、運転者のテクニックでカバーできる余地は少ないのだ。
しばらく通ったものの、次第に走る場所を首都高や湾岸線に求めるようになった。
そこなら俺のスープラでも勝負の余地があったのだ。
ちなみに、このゼロヨン会場はネットで検索してもほとんどヒットせず、知る人ぞ知るという場所であった。
最後に行ったのは2005年であり、現在はどうなっているかはわからない。
首都高C1での走り屋時代
首都高の走り屋の車は、車種・仕様とも様々であり、ゼロヨンと違ってブーストアップのスープラでも十分に勝負の余地があった。
ランサーエボリューションやRX-7のような中排気量のターボ車やNA車も多く、また、その中には速い連中も存在した。
逆に、湾岸ミッドナイトでは主役となるフェアレディZや、ランエボのライバルであるインプレッサはあまり見かけなかった。
最初のうちは、コースを覚える必要があり、徐々に本格的に走るようになっていった。
かなりの速度で走るため、道路の先を読んでラインどりをすることが要求され、オービスの位置も正確に把握しておかなくてはならないのだ。
R32GTRとの出会い
毎週通っていると、いつも出没する車両やその走りのレベルがわかってくる。
速い車、遅い車と様々だが、車両のレベルが近い場合は、バトルになると接近戦になることが多く、必然的に双方の記憶に残ることになる。
やがて顔なじみとなり、どちらからともなく話しかけることもあった。
あるとき、赤のR32GTRに乗る人物に話かけられたことがある。
彼も毎週のように首都高に通っていたので、その存在は以前から知っていたが、割と短時間で見なくなってしまうことが多かった。
そのことを聞いてみると、彼は少し特殊なコースを走っていた。
辰巳第1パーキングを出発し、首都高C1を何周か回ってからレインボーブリッジのある11号線にぬけて有明ジャンクション経由で湾岸線に合流し、大黒PAに到達するというものだ。
つまり、環状線を走ってから湾岸最高速を行うというものだった。
当時、湾岸最高速を行う者は、市川PAから出発して西行きに向かい、大黒PAに到達するというのが一般的なコースであったが、ほぼ中間地点である有明ジャンクションから湾岸線に合流して最高速を行うというのは、首都高も走れて最高速も楽しめるという一石二鳥のコースであった。
彼のGTRは、その加速力からしてノーマルではないことは明らかであったが、聞いてみるとタービンはGT2530で550馬力ほどでているという。
あるとき、助手席に乗せてもらったら、すぐにその加速感に虜になった。
GTタービン+RB26エンジンの組み合わせは、カムを変えていることもあるが低回転から鋭くブーストが立ち上がり、俺の80スープラとは異なる感覚であった。
GTRが国産市販車最強と痛感するだけでなく、湾岸最高速の魅力を知ることになった。
この辰巳第1PAは9号深川線下りに面しているため、首都高ランナーの走りを目の前で見ることが出来た。
200km/h以上の走りを目の前で見るのは迫力満点であり、数多くのギャラリーでにぎわっていた。
俺も速い車両を見極めるためによく観察したものだ。
おまけに、PAのすぐ横に待避所があったため、覆面パトカーとそれにつかまった車両がしばしばそこに停止することがあった。
こうなると違反者はギャラリーから丸見えであり、走りだけではなく覆面につかまったところまでギャラリーに見物されてしまうのだ。
200km/h以上の速度で走ることが当たり前の区間なので、ほぼ全員が一発免停確実であり、前歴によっては免許取り消しになった者もいるだろう。
平成14年くらいにギャラリー対策で目隠しの柵が設置され、走りは見れなくなってしまったのが残念だ。
当時、画像左端の白い柵はなく、9号下り線を走る車両を目の前で見ることが出来た。
この辰巳第1PAは、週末の深夜になると停める場所もないほどのチューニングカーであふれ返り、何とも言えないアンダーグラウンドな空間だった。
この雰囲気が大好きだった‥。
R33GTRを購入!湾岸最高速仕様へ改造・セッティング
しばらくの間、R32GTRの彼と一緒に走ることが多くなった。
しかし、彼のマシンはRB26エンジンに現車セッティングのタービン交換まで行った改造車である。
俺のノーマルタービンのスープラではついていくことが出来ず、特に湾岸線に入ってからは大きく離されることが多かった。
GTRに搭載されたRB26DETTはまさに最強であり、当時の市販車としてはおおよそ考えられないコストや技術を導入していた。
6連スロットルバルブ、ダイレクトイグニッションシステム、金属ナトリウム封入バルブ‥
6連スロットルバルブ?
いやいや、スロットルバルブはエンジンに1つあれば十分だし、それが普通だ。
それを各気筒のすべてに合計6つ取り付けたのだから、0.01秒でもタイムを削るために設計されたコスト度外視のエンジンであることが明白であった。
このような技術やコストを総動員して完成したRB26DETTは、大排気量ターボでありながらもレッドゾーンは8000回転からというショートストローク高回転型のエンジンとなり、高回転域での吹け上がりは無敵であった。
スープラの2JZ-GTEエンジンも最高出力や耐久性の面ではかなりのものだったが、鋭いレスポンスや低回転域からレッドゾーンまで一気に吹け上がる独特の感覚は、GTRのRB26DETTエンジンでしか味わうことが出来ないものだった。
GTRを手に入れたい‥。
次第にその思いが強くなっていった。
その思いを抑えることはできず、R33GTR購入を決断。
ほぼノーマルの極上車を中古で購入し、即座に最高速仕様へ改造・セッティングを行った。
知人の紹介で某チューニングショップにおいて湾岸最高速仕様に仕上げてもらうことにしたが、改造するにあたり、タービンの選択に悩んだ。
この選択でマシンの特性は大きく変わるからだ。
となると、タービンの選択肢はT78-33DかTo4Rあたりとなり、最終的にはT78-33D(シングルタービン)を選択した。
また、このパワーを制御するコンピューター選びも迷った。
Vプロでフルコンのエアフロレス仕様にするか、エアフロ装着のロムチューンでいくか‥。
ただ、エアフロレスにすると、山など気圧の低いところに行ったときに、燃調がくるってまともに走れなくなるという話を聞いていたので、こちらは、エアフロ装着のロムチューンにした。
このように、マシンの仕様を考えるのはなかなか楽しい時間であった。
- トラスト T78-33D タービン
- トラスト レーシングウエストゲート
- ショップオリジナルCPU(湾岸最高速仕様スペシャルセッティング)
- ビルシュタイン車高調(湾岸最高速仕様スペシャルセッティング)
- SUSエキゾーストマニホールド
- メタルヘッドガスケット
- アルコン6POTフロントキャリパー
- APPブレーキライン
- 3速クロスミッション
- 720CCインジェクション
- OS技研トリプルプレートクラッチ
- キャニスタータンク移動
- アールズ フューエルストレーナー
- アールズ レギュレーター
- フューエルデリバリ改
- ニスモポンプ
- Z32エアフロ×2
- ショップオリジナルマフラー
- 触媒ストレート
- ショップオリジナルフロントバンパー
- トラスト 3層前置きインタークーラー
- トラスト オイルクーラー
- トラスト 8番プラグ
- トラスト エアインクス
- トラスト 排気温計
- トラスト 油温計
- トラスト ブースト計
- HKS ブーストコントローラーEVC
- HKS ターボタイマー
- MOMOステアリング
- BBS/LMアルミホイール
- ヴェイルサイドシフトノブ
その他多数
改造したマシンは650馬力を記録!燃費は4km/l
戻ってきたR33GTRは、ノーマルとは中身が全く別物のモンスターマシンであった。
まず、シャシダイでパワーチェックしたところ、650馬力を記録した。
なお、実測650馬力を自動車メーカーのカタログ値に換算したら、800馬力程度になるだろう(カタログ値で800馬力はないと実測で650馬力は計測されない)。
【最高出力】
650馬力(Maxブースト1.5k)
【最高速度】
330km/h
この650馬力の出力を受け止めるために装着されたトリプルプレートクラッチは半クラッチがほとんどないために、発進時にすぐにエンストしてしまう。
坂道発進は至難の業であり、車の通らない近所の坂道で練習を繰り返した。
エンストしなくなったのは、約2000kmも走行してからである。
次に、ブーストのかかり方である。
ビッグシングルの特性は事前に聞いていたが、思った以上に下がスカスカで、4000回転以下ではほとんどブーストがかからない。
この領域ではノーマルのシルビアの方が速いだろう。
しかし、4000回転でブーストがかかり始めてからは手を付けるのが困難なほどのパワーと、じゃじゃ馬のような加速であり、まさにジキルとハイドのような2面性を持つようになった。
乗り手を選ぶという意味では、上記のような運転技術だけではなく、金銭的な意味においても当てはまる。
とにかく金のかかる車だった。
650馬力ともなれば、普通の車とは維持費がまるで違う。
まず、燃費。
街乗りでは省エネ走行を心がけても、燃費はせいぜい4km/lだった。
当時、ハイオク満タンで8000円程度であったが、航続距離はたったの200km程度である。
また、タービン交換車両となればオイル管理もシビアに行わなければならない。
オイルは1回のオイル交換で1万かかる最高級オイル「オメガ」を頻繁に交換。
タイヤやブレーキパッドの消耗は激しく、650馬力のパワーを受け止めるトリプルプレートクラッチもまめにオーバーホールが必要だった。
このように、何をするにも金のかかる車であり、金をまき散らしながら走っているようなものだった。
俺の給料だけでは全く足りず、派遣社員として働いていた嫁の給料も全額つぎ込んでやっと維持できるというレベルであった。
650馬力のチューニングカーに乗るには多額の出費を伴い、相当な覚悟が必要である。
君は時速300km/hの世界を見たか?
湾岸最高速仕様にスペシャルチューニングされた俺のマシンは、シャシダイで計測したところ実測値で650馬力を記録した(もちろんシャシダイ係数なし)。
このパワーがあればトップギヤでレッドゾーンの8000回転を回し切ることが可能であり、最高速度は300km/hを超えることが確実だ。
時速300km/hの世界‥。
この領域ではわずか1秒で100m近くも進む。
前方に一般車両を発見してもあっという間に追いついてしまうから、
メーターに視線を送ることすらほとんど許されない過酷な世界だ。
時速300km/hの世界がどれほどの速度領域であるかは後述する動画でわかるだろう。
湾岸最高速の現実
一般道における十分な練習とマシンの慣らし運転を終え、いよいよ現実の湾岸線に出陣するときが来た。
400馬力のスープラに乗っていたのである程度のパワーには免疫があったが、650馬力は別次元であった。
200km/hから加速しても、背中がシートに押し付けられる加速をするのだ。
400馬力くらいまでの車両の加速は、車のタイヤが地面を強く蹴って前へ押し出す感じの加速だが、600馬力以上になると車が前から引っ張られるように加速をするため車体の重量が異常に軽いような錯覚を起こす。
まるで自転車のように‥。
この感覚は体験したものでなくてはわからないだろう。
土曜深夜27時のバトル
通常、首都高速湾岸線は昼夜を問わず車両が走行している。
深夜早朝であってもトラックが絶えることはない。
しかし、1週間で唯一、湾岸線がオールクリアになる瞬間がある。
土曜深夜27時。ここから1時間のみが湾岸最高速ランナーに与えられた時間である。
ポルシェターボ、JZA80スープラ、RX-7、スカイラインGTR‥。
巨大なタービンを身にまとったモンスターマシン達が、深夜の湾岸線に繰り出す。
視界はオールクリア。
ブーストコントローラーをハイブーストモードにして一気に速度を上げる。
マシンはウエストゲート大気開放の独特のサウンドを湾岸線に放ちながら、弾丸のような速度で駆け抜ける。
川崎トンネルに入ってからは、いよいよクライマックスを迎える。
ここから目的地の大黒PAまでは7~8kmにも及ぶ長い直線が続くのだ(ちなみに、平均時速300km/hであれば、この区間を走行するための所用時間はわずか90秒である)。
この直線の終盤に待ち構えるつばさ橋付近は最も速度がでる区間であり、最高速度は330km/hに到達する。
このつばさ橋付近では数多くの勝負が繰り広げられた。
GTRマガジンに掲載される
あるとき、GTRマガジン主催のR33GTRだけが集まるイベントに参加したことがある。
その前にR32GTRとR34GTRの同様のイベントがあっていずれも定員の100台に達していたのだが、R33GTRは100台に達しそうにないので参加してくれないかと編集部に頼まれたのである。
74台集まったR33GTRの中で、俺のGTRが最もハードなチューニング(参加車両唯一のシングルタービン仕様)を行っており、湾岸最高速仕様ということで注目を集めることになった。
車両の周りには見物の人だかりができ、GTRマガジンに掲載された。
ナンバーにモザイクが一切かかっていないのだから(田〇、ナンバーくらい伏せてくれよ)。
⇩ 拡大
R34のタービンは、厳密に言うとタービン交換車両とみなすことが出来ないだろう。
そうなると、俺以外にタービン交換をしている車両は4台で、その全員がポン付けタービンとなっている。
シングルタービンはT78-33Dのみだ。
最高速度は条件によって大きく異なる
最高速をやっているとわかることだが、走る条件により最高速度は大きく異なる。
最高速度が変わる要因は以下のとおりだ。
- 季節
- 乗車人員(重量)
- 風
冬季と夏季では最高速度は10km/h前後異なる。
冬季は気温が低いために酸素濃度が高く、最高速度が伸びる。
1人乗りと複数人の乗車でも速度は異なる。
4名乗車だと200kg近く重量が増すため、10km/hくらい遅くなった。
この影響は大きかった。
風の強さにもよるが、向かい風だと10~20km/h程度遅くなる。
逆に追い風は速度が伸びる。
俺のGTRの最高速度は330km/hとしているが、これは、冬季・1人乗り・無風の条件である。
夏季、複数人乗車、向かい風であれば、300km/hに到達しないこともある。
逆に、冬季、1人乗り、強い追い風であれば350km/h近くまで伸びることもあった。
この様に、走る条件によって最大50km/hくらいの速度差が生じるのだ。
湾岸を走っているチューニングカーはどんな車種か?
車種についても首都高C1は多種多様であったが、湾岸最高速は限られた数種類のマシンがほとんどであった。
言うまでもないが、首都高C1ではNA車も存在し、それなりに速い車も存在するが、湾岸においてNAでは全くお話にならない。
最高速アタックするためには最低でも500馬力は欲しいが、この領域になるとターボ車であってもブーストアップ程度では到達できず、タービン交換は必須と言える。
その上、改造して500馬力に到達出来る車種は限られている。
車種をあげれば最も多かったのはスープラとGTR。
スープラは80ばかりで70はほとんど見かけることがなかった。
70の1JZ-GTEエンジンで最高速は厳しい。
一方、GTRのほうはどれも同じRB26エンジンを積んでおり、基本的なポテンシャルに大差はないので、R32GTRからR34GTRまで満遍なく見られた。
いずれの車種にしろ、車両購入費・改造費・維持費を合計すると莫大な出費となり、その覚悟を持ったわずかな者だけが踏み入ることのできる世界であった。
ブラックバードのポルシェターボは存在した!
湾岸ミッドナイトには、朝倉アキオ駆るS30Zのライバルとして、島達也駆るポルシェターボが描かれているが、この漫画のモデルになったポルシェターボは実在する。
湾岸ではかなり有名な某最高速チームの会長が所有するポルシェターボである。
このマシンはポルシェ本社がチューニングを手掛けており、実質的なポルシェのワークスマシンと言える。
首都高C1時代から噂には聞いていたがマシンもテクニックも超一流であり、まさに伝説の走り屋と言うにふさわしい存在であった。
残念なことに、2018年・2019年と立て続けに外車販売の巨額詐欺で逮捕
彼のことは、この詐欺事件も含め、私が運営する別ブログ「カーネビ」において執筆者の経歴欄で詳細に記述しています。
興味がある人は「カーネビ」で検索してください。
メニュー内の「スカイラインGTR」から、株式会社ウインターハート斉藤良男の経歴を紹介するページに入れますので、そこに詳しく記載しています(ページにはパスワードがかかっています。パスワードは半角の「123」)。
逮捕されて連行されている最中のテレビ放送の画像あり。
2024年6月16日現在公開中ですが、そのうち削除します。
ライバルは80スープラ
毎週のように湾岸に通っていると、いつも走りに来ている顔ぶれは大体覚える。
俺はほぼ毎週通ったが、よく見かける車両としてシルバーの80スープラがいた。
ウエストゲートの大気開放音や最高速度からして、タービン交換車両であることは間違いない。
80スープラは空力がよく、長い直線では強い。
湾岸では、羽田辺りまでなら俺のGTRが前を走る場面が多いが、つばさ橋の長いストレートでじわりと追い上げられてしまう。
300km/hの世界では、ドアミラーをたたむだけで最高速度が5~10km/h違ってくる。
それほど空力にはシビアな世界だ。
バイクで湾岸最高速をする者あり!
湾岸最高速は車だけではなく、バイクで行うものも存在した。
リミッターのないスズキ隼などは、ノーマルでも300km/hをオーバーを記録する。
また、バイクはフロントにナンバーがないので、オービスを気にすることなく走れるのも魅力的だった。
ただし、バイクは風の影響をもろに受けるので、横風の強い箇所もある湾岸線を走るのは事故の危険が高く、おすすめできない。
外車が煽ってくることがある
湾岸線を走っていると、時折、外車が絡んでくることがあった。
俺のGTRの外観は、ほぼノーマルであるから、カタログスペック400馬力程度のBMW・Mスポーツあたりが挑発して煽ってくるのだ。
カタログ値での400馬力は、シャシダイで実測すれば330~340馬力程度だろう。
俺のGTRとは2倍もの開きがあり、5秒もあれば勝負はつく。
200km/hあたりから一瞬で加速して、バックミラーのはるか後方へ置き去りにするのだ。
ランボルギーニディアブロもぶち抜く
当時、週末の深夜になると様々な車が大黒PAにおいてオフ会を行っていた。
ランボルギーニやフェラーリなどの高級外車も多く、湾岸線を走っているとそれらの車に遭遇することがあった。
俺としてはそんな奴らを相手にするつもりはないが、そいつらを抜かすと大抵の場合は追いかけてこようとする。
彼らにとって国産車に抜かされることはプライドが許さないのだろう。
あるとき、湾岸線を200km/hくらいで流している最中、たまたま前を走っていたランボルギーニディアブロを抜かしたことがある。
すると、その車両は一気に速度を上げ俺を追い抜いて行った。
明らかに俺のことを意識して速度を上げたので、俺も追いかけてぶち抜き返してやった。
ランボルギーニディアブロのスペックはカタログ値で500馬力程度であるから実測値はせいぜい400馬力だ。
俺のGTRとは実質的に250馬力もの違いがあり、まともな勝負にすらならない。
湾岸で出会った最も速い車
毎週湾岸を走っていると実に様々な車に遭遇するが、300km/hを超える速度には慣れており、少しぐらい速い車両と遭遇しても驚くことはない。
しかし、ある時、恐ろしく速い車両に遭遇し、度肝を抜かされたことがある。
その日は、いつものとおり湾岸線を西行きに流しており、川崎トンネルを抜け、最も速度ののる最後の直線を快調に走っているときのことだった。
後ろからハイビームで迫る車を発見した。
こちらもアクセルをベタ踏みに。
ところが、みるみるうちに距離が縮まる。
そして、あっという間に追いつかれ、そのまま俺を抜き去って行った。
少しくらいの差であればドアミラーをたたんで追いかけるが、追い付かないことは明白であったのでそのようにする気も起きなかった。
逆に、脱力してアクセルを緩めてしまったほどだ。
車種はJZA80スープラ。
速度差は40~50km/hはあっただろう。
俺のGTRは320km/h程度でていたからそのスープラは360~370km/hくらいだったのではないだろうか。
あり得ない速さだった。
そこまでの速度領域に達するには、ピストン・コンロッドなどエンジン本体全てに手が加わっていることはもちろん、ファイナルも変更した上でエンジンを回し切らなければ到達できない速度領域だ。
あるいは、超高回転仕様にチューニングされていたのかもしれない(2JZでは考えにくいが)。
あの速度領域でここまで気持ちよくぶち抜かれたことは後にも先にもこの1回きりだ。
あれ以上速い車は後にも先にも現れることはなく、その車両に遭遇したのもそれ1回きりだった。
あれは一体何者で、どんな車両であったのだろうか。
〇〇〇km/hで走っていて警察に捕まった時のこと
最高速をやって警察に捕まると、とても厄介なことになる。
結論から述べると、超過速度が大きいと犯罪者として扱われて検察庁へ書類送検され、検察庁で略式裁判にかけられる。
俺もそうなってしまったのだが、そのときのことはここに書くことが出来ない。
興味がある方は「株式会社ウインターハート 斉藤良男」で検索して上の方にヒットする代表挨拶のページを見て下さい(ページにはパスワードがかかっています。パスワードは半角の「123」)。
下の方に、全てを詳しく書いてます。
2024年6月16日現在公開中ですが、そのうち削除します。
湾岸最高速での死亡事故
湾岸最高速ランナーにとって、事故は表裏一体の存在である。
300km/hでの事故は、即、死につながり、本当の意味で命を懸けて走っていると言ってよい。
ある有名最高速チームのトップランナーでさえ、最高速における死亡事故で帰らぬ人となってしまった。
このマシンだ。
このマシンが引き起こした死亡事故は、テレビのニュースでも放送された。
なお、この死亡事故については、上述した「株式会社ウインターハート 斉藤良男」でヒットするページで述べている(下記注意参照)。
閲覧注意
当該ページには、事故現場で撮影した死亡事故車両の現物(上記R34GTR)が掲載されています。
運転席は完全に潰れ、車両は原形をとどめていません。
閲覧する場合は自己責任でお願いします。
2024年6月16日現在公開中ですが、間もなく削除します。
なお、湾岸最高速での事故原因は主に3つある。
事故原因で最も多いのはこれだった。
まず、300km/hがどれだけの世界か、以下の動画を見ていただきたい。
再生時間19秒のところは一般車両を抜き去る場面だが、この車両が自車線に車線変更して来る恐怖を想像して欲しい。
一般車両が追い越し車線に車線変更してきた場合、我々の車両との速度差は約200km/hもある。
6ポットキャリパーを装備していても避けることは難しく、ましてやノーマルブレーキなどは論外である。
普通に道路を走っているだけでタイヤにくぎなどの異物が刺さることがある。
この釘などが刺さったまま200~300km/hのような高速走行をすると、走行中にタイヤがバーストしてしまうのだ。
よって、湾岸最高速アタックを行う前に、タイヤの点検は必須であった。
普通に走っていると全く感じることはないが、湾岸線には上下にゆるやかなうねりがある(走り屋の間ではギャップと呼ばれていた)。
250km/h以上で走っていると、このウネリがジャンプ台のような役割を果たし、4輪が完全に地面から離れてしまうのだ。
俺も初めて湾岸線を走ったときはこのギャップを知らずにいたので、車両が勢いよくジャンプして自身の体も車内で宙に浮き、頭を強く天井にぶつけてしまった。
このギャップは非常に危険であり、バトルに夢中になり車線変更しながらギャップに乗ってしまうと着地時にバランスを崩し事故になるのだ。
よって、湾岸最高速を行う者は、まず最初にこのギャップの位置を覚えなくてはならない。
ちなみに、自称「湾岸最高速ランナー」に出会うことがあるが、これを見分けるのは簡単である。
「湾岸でギャップはどこにあるか?」と尋ねるだけである。
200km/h以下までしか踏み込めないないような奴にはギャップを認識することが出来ず、湾岸線はただの平坦な道路にすぎない。
250km/h以上の速度領域になって初めてその存在や危険性が認識されるのであるから、この速度領域に到達することのない「自称湾岸最高速ランナー」にはこの意味が理解できないのだ。
当時、「湾岸最高速部隊」というステッカーもよく見かけたが、ただのステッカーチューンである。
本物の走り屋の見分け方
当時、ちまたには、”丘サーファー”ならぬ”丘走り屋”のような車が多く存在していた。
エアロパーツを装着し、見かけは走り屋っぽい車でも、中身はほぼノーマルというものである。
こういう連中はPAなどに集まっているだけで走ることはない。
時には俺に「この車、何馬力でてるんですか?」「写真撮っていいですか?」などと話しかけてきて雑誌やネットで蓄えたチューニングカーのウンチクを冗長に語ってくることがあったが、まさに「語り屋」というべき存在であった。
本気で走る車両を見極めるには2つの着眼点がある。
見た目で本物の走り屋を見分ける方法
見た目での本物の走り屋を見分けるには2つの方法がある。
1つはフロントバンパーに刻まれた飛び石の跡だ。
テールトゥノーズのバトルを繰り返す本気走りの連中は、前車が蹴り上げた小石によってフロントバンパーが傷だらけになっている。
首都高C1をメインで走る車は特にその傾向が顕著だ。
もう一つはブレーキだ。
本気で走る連中はブレーキに金をかける。
ロッキード、アルコン、ブレンボなど、フロントだけで50万円はくだらない。
そんな社外ブレーキを装備している車は間違いなく本物の走り屋だ。
中でもキャリパーが変色している車は特に激しい走りをしている証と言える。
高速域で激しいブレーキングを繰り返すと、ローターやキャリパーの温度が数百℃にも達するのでキャリパーは変色してしまうのだ。
ちなみに、本物の走り屋は、外装はあまり変更せず、ノーマルに近い場合が多い。
俺のGTRも、前置きインタークーラーに対しより多くの風を当てる必要があるという実用上の理由から、フロントバンパーを開口部の大きいものに変更しただけである。
タービン交換をした車両はブースト圧の設定も高く、タービンで圧縮した空気が高温になるため、前置きインタークーラーにたくさんの風をあてて、圧縮した空気の温度を下げる必要があるのだ。
音で見分ける
車両のチューニングレベルについては音でもわかる。
着眼点は3つ。
1つは、アイドリング時の音だ。
タービンを交換している車は、大抵の場合はハイカムを組んでいる。
作用角の大きいハイカムを組むとアイドリングの音が「ブルン、ブルン」とばらつくのだ。
2つ目は、加速時におけるウエストゲートの排気音。
大型タービンに交換した車両にはウエストゲートが装着されているが、設定されたブースト圧を制御するため、タービンで圧縮された空気をこのウエストゲートにより排出する。
このウエストゲートの排気を大気開放にしているチューニングカーは、加速時に「ゲーッ」という大きな音を放つのだ。
この音は大きなタービンを装着している証だから、車両のパワーはかなりあるものと考えて間違いはない(ただし、ウエストゲートの排気をフロントパイプに戻している車両もあり、その場合、この音はしない)。
3つ目は、多板クラッチの「シャラシャラ音」。
タービン交換した車両は例外なくクラッチをツインやトリプルの多板式に変更している(ブーストアップ程度では多板クラッチにするマシンは少ないだろう)。
すると、クラッチを切ったときに特有の「シャラシャラ」という音がする(特にダンパーなし)。
俺のGTRはOS技研のクラッチであったので音量は小さかったが、オグラ製の多板クラッチは音が大きくてカッコよかった。
このシャラシャラ音は多板クラッチを装着している証であり、ハイパワーな車両と考えて間違いない。
チューニングカーの場合、このように音からもパワーを判断できるのであり、PAにいるときはこの音を聞き分けてライバルとなりうる車両を見つけていた。
最高速の歴史に残るスモーキー永田
トップシークレットのスモーキー永田と言えば、湾岸最高速の歴史を語る上では欠かすことが出来ない。
イギリスの高速道路において時速317km/hで走行したとして逮捕され、世界一の違反速度記録として歴史に名を残しているからだ。
そんな彼は時折、湾岸や某PAに出没していた。
現車セッティングをしたり、各種パーツ開発で公道テストも行っているようだった。
外装が派手なので、トップシークレットがチューニングした車はとてもよく目立つ。
彼以外にも、湾岸ではトップシークレットでチューニングした車両をよく見かけたものだ。
ちなみに、本当に走るのが好きなのだろう、永田氏は冒頭で紹介した某セロヨン会場にも出没していた。
チューニングカー雑誌からの取材依頼
チューニングカーの雑誌がいくつか存在するが、その中で湾岸最高速ランナーの特集が組まれることがしばしばある。
湾岸最高速は読者の興味を引く記事なのだろう。
雑誌社の記者が大黒PAあたりをうろついており、めぼしい車両に声をかけるのだ。
俺も何度か声をかけられたことがある。
しかし、すべて断るようにしていた。
理由はいくつかあるが、走っている速度を考えると、最高速ランナーであることを公言して目立つことをすると、その後様々なデメリットが生じてしまう可能性を考慮した(GTRマガジンについてはその点を伏せるという条件で取材を受けている)。
なお、私が執筆者として加わっていた某チューニングカー雑誌には、湾岸最高速ランナーということではなく純粋なチューニングカーとして何度か誌面に登場している。
禁断のチューニング
当初は650馬力のパワーに満足していたが、慣れてくるとさらなるパワーが欲しくなった。
T78-33Dタービンは700馬力まで対応できる風量だが、俺のマシンは650馬力であり、タービンの容量的にはあと50馬力は上乗せが可能だった。
しかし、650馬力に抑えざるを得ない理由があった。
俺のGTRのエンジン本体はヘッドガスケット以外はノーマルであり、この状態ではエンジンが700馬力に耐えられないからだ。
RB26エンジン本体がノーマルで耐えられるのは600~650馬力までというのが通説であり、そのため、ブーストを1.5kまでに抑えて650馬力としたセッティングとなっていた。
これ以上のパワーにするためには、ピストン、コンロッド等のエンジン内部の大物パーツを交換しなくてはならないが、これにはかなりの出費となる。
俺はチューナーに相談した。
「このままの状態でブーストを上げて700馬力にすることはできないか?」
チューナーの返事は想像していた通り「耐久性の保証はできない」とのことだった。
インジェクションの容量も700馬力ならギリギリ許容範囲内であり、クラッチもトリプルプレートだから耐えられるだろうが、エンジン本体が厳しいだろうという予想通りの見解だ。
しかし、自己責任ということで対応してくれることになった。
俺のブーストコントローラ-はHKSのEVCであり、これにはスクランブルモード機能が付いていて、ボタンを押した時だけブーストを上げることが出来た。
このスクランブルモードのブースト設定を1.7kにするのだ。
こうして禁断の700馬力を手に入れることが出来た。
しかし、これはリスクが高いことは俺もわかっていたので、ここ一番の大勝負の時以外には絶対に使わないと決めていた。
地方からの遠征組との勝負
大型連休になると、地方から走り屋が遠征してくることが多かった。
地元で走る者としては、地方組には負けられないという意識が強い。
地方組もまた、都会の連中には負けたくないという意識を持っている。
PAに停めているときから、お互いを強く意識しているのだ。
そして、互いにPAを出るタイミングを伺い、どちらかがスタートしたらもう一方も後を追う。
湾岸は俺のホームグラウンドであって、コースを熟知していることや湾岸最高速仕様として特別にチューニングされたCPU・足回りのセッティングから、地方組には負け知らずであり無敵を誇った。
「湾岸には白のR33ですごい奴がいる」との噂が流れていることを人づてに聞いた。
最後のバトル ~湾岸で散る~
ある夏のことだった。
群馬ナンバーの3台のマシンが辰巳第一PAの隅に停まっていた。
3台とも全てTE37のホイールにSタイヤ。
この組み合わせだけで本物の走り屋であると判断するには十分だ。
マシンからは本気走りのオーラが出ており、俺は強く彼らを意識した。
彼らの目当てはC1か湾岸のどちらだろうか‥。
横目で様子を伺い、PAを出るタイミングに合わせて俺も即座に後を追う。
首都高C1は軽く流し、湾岸へ出た。
湾岸組だ!
3台のマシンは一気に速度を上げる。
かなり速い。
一瞬見失ったが、空港北トンネルで何とか視界にとらえた。
浮島を出たあとの長いストレートで一気に抜き去る作戦とした。
川崎トンネルを抜け、アクセル全開勝負に出る。
2台は早々に捕らえたが、最後の1台はかなりの速度だ。
一般車に行く手を遮られ、やや減速したため車両を見失いそうになり焦る。
つばさ橋はもう少しだ。
一気に追いつかねばという焦りが生じる。
こうなればあれを使うしかない。
このとき、初めて禁断のスクランブルモードスイッチに手を触れた。
アクセルを目いっぱい踏み込み、ブーストは1.7kに。
しかし、間もなく大量の白煙を吐いた。
やってしまった、痛恨のエンジンブローだ。
車両を路肩に停め途方に暮れる。
すると大量の白煙に気づいたのだろうか、しばらくしてバトルの相手となった人物が現れた。
話によると、群馬の有名ショップでチューニングしたT51R仕様のマシンで、780psだという。
5分ほどの間に交わした言葉はわずかであったが、お互いの健闘を称えあい握手を交わして去って行った。
本気で走る者にしかわかり得ない特殊な感情がそこにあった。
ベイサイドブルーのR34GTR‥
俺の負けだ
お前は本当に速かった‥
生涯忘れることはないだろう‥
スカイラインgts-t タイプM(ECR33)~タービン交換車両でドリフトへ
エンジンブローしたGTRは手放し、1年ほどスポーツカーとは無縁の生活を送っていたが、我慢できなくなりタービン交換をしてある中古車のR33スカイライン-タイプMを購入。
湾岸最高速や首都高C1は卒業し、当初は通勤や街乗りの車として使用していた。
- HKS GT2540タービン
- ニスモポンプ
- Z32エアフロ
- HKS前置きインタークーラー
- 柿本マフラー
- マインズCPU
- HKSツインプレートクラッチ
- HKSハイカム
- HKSブーストコントローラー
- HKSターボタイマー
- BOMEXフロントバンパー
- WORK18インチアルミホイール
- HKSスーパーパワーフロー
- TEIN車高調
その他多数
ドリフトに目覚める
ECR33を購入し、最初はおとなしく乗っていたのだが、タービン交換車両でおとなしく乗るというのはかなり大きなストレスである。
ある日、家から40分程度のところにあるドリフトスポットに見物に行った。
ドリフトは湾岸最高速と異なり、目の前で見物できるし速度領域も低いので(最高速と比較して相対的に)安全に見えた。
試しにやってみると、意外に簡単にできる。
すぐにはまった。
ひそかに練習を重ね、いよいよいつも行っていたドリフトスポットデビュー。
実は、ここで失敗するとかなりカッコ悪い。
速度領域が低いのでギャラリーが目の前で見物しているのだが、たまに失敗してガードレールなどにぶつかる車両がいると、すべて目の前で目撃されてしまうからだ。
俺もそのような車両に対し「あー、やっちゃったね」などと内心では思っていたものだ。
幸いにも俺の場合はぶつけたりするような失敗は一度もなかった。
ドリフトのいいところは、「D1グランプリ」という正式な競技となっており、サーキットで見学できるところだ(それどころか予選に参加して勝ち抜けば自身も出場できる)。
何度か筑波サーキットにD1の見物に行ったが、のむけんのER34が吐く大量の白煙と進入角度におどろかされるばかりだった。
しかし、ドリフトをやるとタイヤのヘリがハンパではない。
俺のECR33は18インチで幅265mmもある。
このサイズのタイヤを毎月のように交換しているので、タイヤ代だけで月5万円だ。
カーセンサーに掲載される
下記の写真は、中古車雑誌カーセンサーの編集部から「巻頭特集に登場してもらえないか」と頼まれて引き受けた際に撮影されたものである。
他のマシンも含めると各種雑誌に何度か掲載されている。
下記は雑誌に掲載された写真(ナンバープレートカバーには「Car senser」の文字)。
俺の走り屋人生
走り屋のステージは主に4つある。
- ゼロヨン
- 最高速
- ドリフト
- グリップ
俺はこの全てを経験したことになる。
このような走り屋はかなり珍しいだろう、チューニングカーとともに歩んだ人生と言ってよい。
普通のスポーツカーでは物足りず、タービン交換というドーピングをしなければ満足できなくなってしまった。
ところが、最近はターボのスポーツカーがほとんど発売されていないので、チューニングカーの素材にふさわしい車がない。
後付けでボルトオンターボにすることもできるが、エンジン等の設計が高出力に耐えうるものではないのでメカ的な限界値は低い。
思い起こせばスポーツカーの全盛期は1990年代であり、この頃のスポーツカーは実に魅力的であったと思う。
日産はZ32、R32・R33・R34スカイラインにそれぞれのGTR、S13・S14・S15シルビア‥。
トヨタは70・80の各スープラ、チェイサー・マークⅡ・クレスタの各種ツアラーV‥。
マツダのRX-7(FD3S)に三菱のランサーエヴォリューション‥。
チューニングカーのベースふさわしい魅力的な車がひしめきあっていた。
あんな時代はもう来ないに違いない。
チューニングカー業界の闇と現在
スポーツカーの衰退はチューニング業界にも大きな打撃を与えた。
2007年にはアペックス(当時の名称はアペクセラ)が倒産、翌2008年にもトラストが倒産している(会社は現在も存続)。
特にトラストはHKSと並ぶチューニング業界の雄であったため、とても驚かされた。
チューニングカーは基本的にはターボ車がベースとなるが、2000年あたりからはターボのスポーツカーがほとんど発売されなくなったため、ターボチューンのパーツも売れなくなったものと思われる。
ただ、現在のようにチューニングカーが衰退したのは、チューニングショップのモラルの低さも大いに関係があるだろう。
ハードチューンのスポーツカーに乗る仲間から入る情報はおおよそ信じ難いものだ。
- 金はどんぶり勘定
- 客のパーツを盗む
- 外から見えないパーツは取り付けない
- ショップオーナーが金と客の車を持って逃亡し、残された従業員が自殺
誰もが知る超有名ショップにチューニングを依頼した仲間の話。
依頼したチューニングに対して費用は200万円と見積もられたが、内訳や明細は一切なし。
しかも、数日後に電話がかかってきて、「やっぱり300万円かかる」と言われたそうだ。
電話一本で100万円のアップである。
そもそもきちんと計算して200万円ぴったりとか300万円ぴったりとかいうことはほとんどないわけで、この業界がいかにどんぶり勘定であるかよくわかるエピソードである。
シングルタービンのBNR34に乗る仲間の話。
某チューニングカーショップでオーバーホールを行ったが、その際にそのショップがエンジン内部の高額な限定パーツを盗んで標準品と交換していたのだ(後年、マシントラブルを他のショップで修理した際に発覚)。
この店にはチューニングをするために車を預けても作業を放置され、1年や2年も車両が返ってこないという客も珍しくなかったようだ。
チューニングの腕前は良いと各方面から聞いていたのだが‥。
クロスミッションや鍛造ピストンなどのパーツは外から見ることが出来ないため、客から金だけとってパーツを取り付けないという話は割とよく聞く。
某ショップのオーナーはやばい筋から金を借りたままの状態で夜逃げした。
夜逃げの直前に開催された東京オートサロンに出展しており、そこで客から集めた金と車を持って逃げていることから計画的な犯行と考えられる。
残された従業員がショップの取締役にも名を連ねていたため、責任を追及されることになってしまった。
ヤ〇ザの取り立ては執拗であり、連日、ショップには怪しげな車が押し掛けていた。
その結果、彼は耐えきれずにマンションから飛び降りて自ら命を絶ってしまう‥。
本日、2022年1月20日で彼の命日からちょうど20年となった。
この日が来るたびに、彼(山田オスカル学)のことを思い出す。
理不尽なことでこの世を去ってしまった学さんを弔うためにも、私が経験した彼とのやり取りを記しておきたい。
まず、ショップの名前は「ムーヴチューニングファクトリー」。
通称、ムーヴ。
逃げた男は、通称「カマール男爵」(本名は自粛)。
某有名湾岸最高速チームのメンバーが立ち上げにかかわっており、最高速の系譜を持つチューニングショップだ(2002年に倒産、というか逃亡)。
ショップのパンフレットにも「OVER 200MPH」との記載がある。
学さんとの出会いは、2001年までさかのぼる。
当時、俺はブーストアップの80スープラで首都高を走る、名もなきランナーだった。
そこで時折見かけたのが、ムーヴのデモカーでもあり、学さんの愛機でもあるR33GTR。
レーシングラグーンと名付けられ、青くペイントされたこの車は、抜群の存在感を誇っていた。
あるとき、大黒PAに停まっている彼の車を発見し、思い切って話しかけてみた。
- タービンはGT2530×2
- 最高速度は330km/h
- 最高速・サーキット兼用
ということなどを、気さくに教えてくれた。
当時、俺は湾岸最高速への転向を考えていたため、学さんのマシン作りやアプローチは大変参考になった。
後年、湾岸最高速用のマシンとして俺がR33GTRやシングルタービンを選択したことは、学さんから得た知識によるところが大きい。
その後も何度か現場でお会いし、最高速仕様のマシン作りや最高速の在り方などを教えていただいた。
よく、学さんに、「R33GTR買ったらムーヴにチューニングをお願いしますよ」などと言っていたが、学さんは「遠いから無理しなくていいんだよ~」などと笑いながら答えてくれた。
学さんは、全く商売にならない相手であっても、損得抜きに分け隔てなく接してくれる人だった。
店の車に興味を持った近所の子供たちが遊びに来たときでさえ、長い時間を割いて丁寧に対応したと聞く。
金を払った客であってもまともに接客しないことが多いこの業界では、異例のことだ。
また、学さんが誠実にチューニングをしていたという話は各方面からも聞いていた。
例えば、チューニングショップに車を預けたとき、現車セッティングをしていないのにしたことにするショップは多い。
この点、ムーヴに出入りしていたお客から、「学さんはしょっちゅう現車セッティングにでかけて、なかなか帰ってこないんですよ」という生の情報を得ており、その評判や本人の人柄から安心できるチューニングショップという印象だった。
腐りきったこの業界において、学さんの誠実さは俺の心に強く響いた。
学さんが存命していたら、ムーヴに最高速のチューニングを依頼していたにちがいない。
しかし、仲間に裏切られ、2002年1月20日、何の罪もない誠実な彼がこの世を去らなければならなくなる。
その過程は、あまりに過酷で残酷なものだった。
話を聞いた後、何度ムーヴ(の跡地)に通い、涙しただろうか。
生前、彼が好きだった真っ赤なバラを添えながら‥
とにかく、チューニングカー業界で働く人は一般人とは人種が違うことが多い。
ショップの店員が客にタメ口を使い、客が店員に敬語を使うのが一般的だ。
通常は「仕事を受ける側」が「仕事を依頼する側」に頭を下げるが、この業界はその立場が逆転している。
チューニングカーに乗って時速300km/hで走るというのはアウトローだが、そのアウトローを相手にしたショップを経営しようというのはさらにアウトローであり、普通の人間と違う感覚を持った者が多いのだろう(もちろん全員がそうではない)。
ここまで、現役時代に現場で遭遇した内容を書きましたが、ここには明かせない話も色々とあります。
- 有名湾岸最高速チームのトップランナーの事故死(死亡事故直後に撮影した事故車両の画像あり)
- 「潰し屋」に襲われたときのこと
- 〇〇〇km/hで走っていて警察に捕まった後の悲惨な話(実体験)
- ドリフトで大乱闘に巻き込まれたときのことetc‥
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そこでは、ここに書けない走り屋時代のリアルな恐怖体験を期間限定で公開中。
本来、公にすべき話ではないので、そのうち削除します。
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